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三重県いなべ市
覚王山地区
大垣
幸田
久屋大通り北部地区
長者町
その他

三重県いなべ市
http://www.inabe-gci.jp/

2013〜2019   いなべ市
地方都市の「活性化・まちづくり」のコンセプトワークから、事業化、プロジェクトマネージメント、実現化まで。ローカルな暮らしの豊かさへの希望づくり、人づくり型まちづくりプロデュース

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三重県いなべ市、旧4町が合併した行政人口4万人あまりの市、大手自動車関連メーカー等の大規模な工場の誘致に成功し、税収面も安定しているが、市の核となる中心市街地(市民の意識的部分においても)は、ほぼ消滅、若年層の人口流出も進み、今後のまちづくり像の模索と、そのコンセプトを体現する事業のプランニング、机上の空論ではない具体的な事業の推進が必須であった。市のランドマーク(核)となる新庁舎の建設を見据えて、コンセプトワークから、具体的な事業のプランニング、市長直轄の組織横断的チームとのコンセプトの共有作業と各事業の推進、プロジェクトマネージメント、いなべ市のまちづくりの象徴、きっかけとなる「にぎわいの森」プロジェクトを始動する。

いなべ市の旧市街地である阿下喜地区は、昭和30年代までは中心市街地としての街の機能を担っていたものの、その後は廃業、空店舗が並ぶ地区となっていたが、街の風情(古い建屋や路地の佇まい)や、廃校となった旧小学校(後に有形文化財に指定)には、街を訪れる人がローカルを愉しむエッセンスが残っていた。そのポテンシャルを内外に周知し、街来者(街を訪れる人々)からの評価を得、地元市民が、自分達の街の可能性や愉しさを再認識するための活性化事業として、2013年に阿下喜マルシェクラフト市を開催。2万人以上を集客する。(次年度以降、地元有志により継続開催)また、いなべでの新たな人材づくりと創業支援をする事業を生業事業とし。Uターン、Iターンの若手小商いの開業を促進。空き店舗がライフスタイルショップやギャラリーとなり、市内外より多くの人が集まる。廃墟が人気カフェとなった。
街と人の可能性を、知恵とセンスにより、地域の材を財に変えることにより拡がるGCI(グリーンクリエイティヴいなべ)という事業テーマを掲げる。GCIは、いなべのフィールド、美しい自然の風景、農産物等、全てに可能性をもたらす事業理念として、いなべ市の街づくり理念となる。GC事業を内外に周知していくために、移住者、集客のメインターゲットと成り得る層が利用する名古屋の商業施設(ミッドランドスクエア、星が丘テラス、松坂屋名古屋本店、無印良品名古屋名鉄百貨店 等)でPR事業を実施。
いなべ市のローカルや材を活かす人達や、材を財に変えるセンス、「ローカルセンス」の取組みを紹介し、いなべの新しい動きと可能性の周知を図る。

GCI事業、生業事業の核となり、いなべ市全域へのハブ機能を持つ拠点として「にぎわいの森」をいなべ市とのPPP事業としてプランニング。GCIの理念を共有し、地元に土着化し、地域の農材を財に変えていくことが出来得るセンスと力量を持つことを必須条件に、大阪、名古屋の人気店の誘致に成功。「地縁店」(ちえんてん)として、どこに行っても同じ日本の地方都市の風景に一石を投じる、地縁店が出店する「にぎわいの森 いなべヒュッテ」を開業、事業化する。

上記のテーマを、ストーリーを持つ世界観として最大限に具現化するため「にぎわいの森」全体のランドスケープ、ゾーニング、各店舗のデザイン、設計、店舗業態開発、グラフィックス各種、市が受け皿となる事業スキームづくり、予算管理、オープン後も見据えた組織づくり、また販促、広報活動まで「にぎわいの森」のブランディング(全体像)を統括する。2019年5月にオープン。
「にぎわいの森」を拠点にしたGCI事業は、オープン後も生業事業促進のための様々なワークショップや、いなべの財を愉しむワークショップの開催等、また市内外の事業者との連携による新たなプロジェクトの立上げ等、持続的に継続可能な体制が市役所内に出来ており、今後も、いなべ市全体へのセンスと知恵のハブ機能としての成果が期待出来る。

参考資料「にぎわいの森ストーリー」(PDF)

覚王山地区

1997〜2006   覚王山商店街振興組合・覚王山街づくり委員会
自立する商店街の活性化活動、街ブランドの確立へ

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商店街の若手経営者を中心に、商店街の再興を目的とし、覚王山の街そのものを活性化させる「街づくり委員会」を発足させる。他の街にはない覚王山の街らしさを説き、街のキーワードを「和のレトロ」「アート&クラフト」「エスニック」「第二の山の手」と設定、日帰りショートトリップな新観光街づくりとして活動をスタート。毎週行われる「街づくり委員会」での活発な意見交換と、松並木募金、覚王山スーベニアみやげもの開発、覚王山新聞等とアイデアの即実現が、新たなメンバー増を呼ぶ一方で、商店街との一体化を計った。

まず、3年計画として、街の認知を上げるため、商店に限らない街全体の楽しさをイラスト化した「覚王山マップ」を作成。さらに街のキーワードに乗っ取った出店内容によるフリーマーケットを定例開催。現在各地で行われている街イベントの先駆けとなったイベント内容とマップとの相乗効果により街への興味と集客は徐々に大きくなり、商店街の内外の意識が劇的に変化する。同時に当時課題となっていた空き店舗事業に着手。商店街を人々が回遊できるようグランドデザイン、街ゾーニングを設定。フリーマーケット出店者に開業公募を募り、空き店舗が貸し出されるよう地元地権者を説得。これらが比較的スムーズに進行したのは、3年計画での実績があったからと評価され、県下一の活性化可能性を持つ商店街として選定される。現在では、潜在的空き店舗も含め、商店街の30〜40%程を占めた空き店舗は全て無くなり、従来からの商店も新たな店舗に変わり、出店オファー待ちとなっている。これら一連の街づくりを総合的にプロデュース。

2003年には、築50年の古いアパートをコンバージョン、リノベーションし「ときわ荘」をイメージしつつ、若手アーティストが集うショップ&工房&ギャラリーとして再生。街の活性化にリノベーションの活用、都市再生の新しい手法として注目されると共に、覚王山らしい独特な空間がイマドキの「おしゃれ感」となり、普段はアートやクラフトに縁の無い人も、立ち寄りたくなる新名所となる。 この「覚王山アパート」は街のキーワードの一つである「アート&クラフト」と空き店舗事業の仕上げとなり、覚王山らしい街イメージを更に強化することとなる。

現在、フリーマーケットから始まったイベントは「覚王山まつり」として根付き、毎年春秋、10万人以上の来場者となる風物詩として定着した。
また、「覚王山地区」は名古屋市内でも最も人気のエリアとなり、感度の高い店舗の新規出店地及び商品企画の際にも、街ブランドとして「覚王山」を冠に付ける等、そのブランド力は広く認知されている。街づくり活動から約9年をかけて、活動が完成し、その後は当時のスタッフがいなくとも自立して活動のできる街となっていく。

大垣 www.hatsuratsu-ogaki.com/madeinogaki/

2008年〜   大垣市中心市街地再生事業
若手商店街経営者の勉強会が地方都市の
中心市街地再生事業を担う役割組織へ

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市内複数の商店街の若手経営者を中心としたメンバーによる魅力ある街づくりに向けての勉強会「石黒塾」が活性化を目指した様々なプロジェクトを立ち上げる。
「ツーリズム商店街」活動として、疎遠だった商店主間の交流をもくろむ商店街マップの作成や、大垣らしさ再生活動として大垣の来歴を研究し、中心部のキーワードを「川の手、サブカル昭和アナ―キ―、西濃の恵み、和暮らし、手仕事」と設定。同時に「メイド イン 大垣プロジェクト」を立ち上げる。歴史の中に埋もれた大垣らしい商品を発見し、それらを今のモノとして再生させる。商品を仕入れて売る商店街から、商品を企画開発する商店街を計るプロジェクト。そこから「大垣珈琲」が生まれた。市内にフラッグショップカフェを作り、他カフェでの販売、大手流通小売店とのコラボ商品としての企画等、名物化を推進。今尚、新たな商品が続々と企画されている。石黒塾が主体的に動き商店街を巻き込み、その評価が更に拡がり、街の潜在力を引き出し、商店の経営強化にもつながった。

2010年には、石黒塾として「大垣らしさである西濃の恵みを象徴する空き店舗・空きビル・空家再生事業」の第1号店舗である「のむさん農園」をプロデュース。地元で染工場を営む傍ら、しいたけの栽培を自ら行う店主が野菜生産者のネットワークを活かし、彼ら野菜生産者が自ら作った野菜を自らの手で販売する店舗。大垣ならではの農産物を単に作るだけではなく、「作った人」がきちんと「食べる人」に農産物を直接説明する、理解してもらうように、自ら販売して、西濃・大垣の恵みを中心市街地に届ける。大垣の皆さんに、地元の恵みを食する豊かな暮らしを実感して頂く、また、生産者の新たな生きがいにつながる場になればという思いでオープン。関わる各々の立場の人々がハッピーになる、その輪が拡がることが街づくりであり、どこにでもある施設でなく、地域らしさを表す施設づくりが街づくりと考える。ちなみに「のむさん農園」は更なる店舗を企画中。

2012年には、2つ目の「空き店舗事業」として「あきさんの給食当番」をプロデュース。大垣産生鮮に続き大垣産惣菜を提供する店舗は、大垣の豊かな暮らしの一助になるという、街づくり・「空き店舗事業」と共通テーマを持つ。
これらの活動実績の積み重ねにより、現在「石黒塾」は商店街の活性化事業という枠を超え、大垣市中心市街地再生事業として、地方都市の中心市街地の再生を担う役割と位置付けされている。

幸田 www.koutagiza.jp

2009年〜   幸田駅前地区共同ビル管理組合
地方都市の旧市街地、駅前再開発事業

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幸田町は山々に囲まれ、三河木綿からガラ紡、養蚕、製糸、織物、そして醸造発酵、窯業、瓦、木材加工といった、今では魅力的な風土産業ぎっしりの歴史をもつ。ただ、昭和35年以降は大手メーカーの工場誘致が活性化し、街のオリジナリティー・らしさを住民が知らない状況ともなっていた。また近年は岡崎市のベッドタウンとして町の外周部では人々が増加している一方、旧市街地は衰退が著しい。

この旧市街地にあるJR幸田駅前・周辺地区の活性化事業を手掛けることになり、駅前土地区画整理事業エリアの中心部となる駅前ブロックの再開発に着手する。駅前商店主住民の有志による活性化研究会から地権者による建設組合を設立。事業プロジェクトのプロデューサー&オブザーバーとして要請を受けて参画。当初は郊外に有りがちな商業施設誘致の計画であったが、衰退している旧市街地の活性化事業、新たな再開発であることから、独自のプランと事業スキームを提示。大手のデベロッパーを入れず、地権者が開発の初期段階から主体的に関わる全国的にも珍しいケースとなる。都市のスプロール化、ドーナッツ化で衰退著しい旧市街地の新しいモデルとし、「人と風土と産業がつながっていた暮らし、地域の人々の心の根っこ・地域コミュニティーの復活」をコンセプトとする。

2012年、「幸田駅前銀座」を第一期オープン。幸田の風土産業である農業、すなわち農を作ることから、食を楽しむ、ことへと転換させたテーマに基づき、パン工房、セレクトグロッサリーショップ、豆腐レストラン、カフェをリーシングし、プロデュースする。定期的に地元作り手によるマルシェを中庭で開催、また商店街発展会の活性化に着手、幸田町の支援制度の見直し等、関わる人々の輪を拡げ様々な形で施設運営に参加できる参加型商業施設として、また近隣からのショートトリップの施設として、住民が誇れるコミュニティーの場となっている。

駅前再開発、商業施設、店舗誘致といった紋切り型ではなく、地域の人々が自己実現できる受け皿、店舗にこだわらないコミュニティーな居場所、文化的タウンイベント等に対応する開発が、今後の街づくりに必要であり、建ぺい率、容積率をマックスとした施設規模ではなく、ヒューマンスケールを持つ施設規模で事業成立させることが、これからの街づくりに重要だと考える。

久屋大通り北部地区 www.hisaya-kg.com

2009年〜  
久屋鍛冶町ビルヂング、クリエイティブネイバーフッドの拠点づくり

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久屋大通り北部地区は、名古屋市の繁華街、栄地区に隣接しながら、周囲を圧倒するケヤキ並木、公園、マンション群を控える「活きているセンスある界隈づくり」にふさわしいエリアであると街を見立てた。この街に「センスある暮らしのコミュニティーづくり」をプラスできれば、都市で暮らす意味を人々が一層強く感じられる、という思いで、「丁寧な暮らし、丁寧な仕事」をテーマとした、久屋大通り公園沿いの築40年のビルのリノベーションプロジェクトをプロデュース。

ひとつの施設や店が、ある地域にできる事で、オモシロイ人々が集まったり、こうした人々が集まりコトが起き、更に人々が集まり近隣が一定の雰囲気を持ちながら活性化していく。あたかも自然発生、自発的にである。これをクリエイティブネイバーフッドと言っている。こうしたコミュニティーの拠点づくりと久屋鍛冶町ビルヂングを位置付けている。また、その地域のオリジナリティーや暮らしのセンスが感じられ、人々が暮らしの豊かさを再評価、発見できるクリエイティブネイバーフッドな街づくりを、地方都市や都市他エリアでも実現できることを想定したプロジェクトでもある。

「伝統・風土を大事にする」こと「手仕事を見直す」こと「名古屋圏ローカルドメスティックな人々の仕事、且つ志を持つ人々」であること。これらをキーワードとしたリノベーションビルには、テナントとして、フードブティックを核とし、オーダー靴のショップ+工房・教室を併せてリーシングしプロデュースする。
フードブティック「キッチュエビオ」は食のエンターテイメント・食のクオリティー、食のセンスをテーマにMDされた業態であり、カフェ、ワイン教室や料理教室等のスペースも設け、食を通じての地元住民、来街者のコミュニティーの場となっている。業態や空間のセンス、実現が評価され、出店要請も非常に多い。当ビルは、このエリアの食、暮らしに欠かせない場を生み出し、「センスある界隈づくりの起点として期待されている。

長者町

2000年〜2006年   長者町街づくりカンパニー、長者町織物協同組合
ベンチャー型街再生事業・街テーマの意識付けが大規模アートイベントの会場エリア決定に寄与

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廃業した事業者の空きビルが連なっていた名古屋市の長者町繊維問屋街。長者町は、繁華街の栄地区、名古屋駅地区間に埋没し、衰退した繊維産業そのものを体現する空きビル街となり、隣接する夜の飲み屋街に浸食されつつあった。長者町エリアの再生プロジェクトは、限りある予算から収益を生み出す街活性化ベンチャーの視点と街づくり組織の在り方を提示、オーソライズすることから始まった。全てのプロジェクトをディレクション&プロデュース。

街づくりの節目となる3年をタームとし、最初に「街認知」活動に注力。対社会に向けては、もちろんのこと、問屋街という宣伝PR意識が皆無の地域内同業事業者に向け、自分達の街が活性化する意味、自らが街の活性化に関わることの意味等の意識付けを徹底的に行い、意識変化を促す。

2000年より、問屋街ビルシャッターの地元専門学校生によるライブペインティングイベントを開催。同時に街認知活動として初めての街イベント「長者町えびす祭り」を開催。フリーマーケット、問屋事業者の一般向け出店等、問屋事業者が祭りの主催者として、主体的に準備段階から活動するプロジェクトは街づくりに対しての意識の大きな変化を促すと共に、対外的にも問屋街の新しい再生プロジェクトの始動として大きな注目を集める。

街再生のテーマ「ファッションのメッカ」とは、ファッションを衣・食・住・アートといった暮らし領域に拡げ、問屋街を企画、デザイン、学習、販売等といった機能に翻訳し直したもの。2002年、長者町を新しいフッションの集積地とするプロジェクトとして「長者町えびすビル」をプロデュース。築40年の空きビルをリノベーション&コンバージョンすることにより「ファッションのメッカ」「街の再生」を具体化する。その後、一年ごとにpart1からpart3まで創られる長者町えびすビルは、問屋街事業者の出資するファンド型街づくりカンパニーが建設コストをヘッジする手法で空きビルをサブリースし、運営するベンチャー型街再生事業である。ビルオーナーとの交渉、事業スキームの作成及び各々のビルをプロデュース&ディレクション。若手経営者によるオーガニックカフェ、インテリアショップ、ギャラリー、アートブックストア、パンブティック、ファッション雑貨等の店舗群が、モダンなリノベーション空間にテナント入居。ベンチャー&ファッションをアピールすることとなり、新しい来街者を集客、強く吸引することとなった。

「長者町えびすビル」は不動産の有効活用ではなし得ない、街らしさを読み解くことから始め、空き店舗のテーマと街らしさを共有させながら、街全体の街づくり再生事業として認識されることにより、街の内外に対して長者町の再生が大きく捉えられる契機となった。
現在「長者町えびす祭り」は1日あたり10万人を超える来場者となり毎年恒例のイベントとして根付いている。また街テーマの「ベンチャー・ファッション&アート」は広く認知されることになり、2010年開催のあいちトリエンナーレの会場となり、若手アーティストの作品発表の場として大きく注目される。2013年開催のあいちトリエンナーレも会場として決定。

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